伏見屋とは

伏見屋本店

創業から百年以上。
和食の文化を支える伝統食材の作り手。

会社沿革

伏見屋のはじまりは、古く江戸時代までさかのぼります。

京都の伏見から来た、屋号を「伏見屋」と名乗るこんにゃく屋が、高槻市富田町にある本照寺の門前で商いを始めたことが弊社のはじまりです。その後、伏見屋は明治24年に本照寺の門前から茨木市田中町に移り現在に至っております。

現在の田中町は住宅地になっていますが、明治時代は茨木北市場といわれ、食 品、衣料、雑貨などいろいろな商品の卸売や小売店舗、旅籠や料理屋などが林立する商業集積地として活況を浴びていた地域です。

茨木に移って来た時の当主、上田鹿之助元吉の代から現在まで5代に亘り、美味しいこんにゃく、美味しい豆腐づくりに専念して参りました。

こんにゃくや豆腐は他の食品のように明らかな味の違いがわかりにくい食材です。歯ざわり、風味、香りなど個々に見るとそれぞれ違いはあるのですが、それはわずかな違いでしかありません。そのわずかな違いを求めて、厳選国産大 豆・厳選国産こんにゃく芋など材料にこだわり、水にこだわり、品質管理にこだわり、「なごみのおとうふ伏見屋の商品はちょっと違うね」の一言に向け、様々な試行錯誤を繰り返して来ました。

伏見屋の百三十余年は、この「わずかな違い」を求めての百三十余年であったといえるのです。

伏見屋のとうふ、その成り立ち

伏見屋の豆腐づくりは、お取引のある百貨店の担当の方から「おいしい豆腐を探して欲しい」と言われたことから始まります。

いろいろと探し回った結果、京都府向日町市のお豆腐屋さんで、「これは」と思えるお豆腐と出会いました。

早速試食をして頂いたところ「是非そのお豆腐を販売したい」と言うことになり、当社がその豆腐屋さんから仕入れて、百貨店に納品することになりました。

しばらくしてそのお豆腐屋さんが、とある事情でお店を立ち退かなくてはならなくなりました。ご年配だった店主は「伏見屋で工場を建ててくれればそこの工場長として働きたい」 とのこと。

京都府の大原野という土地に工場を構え、伏見屋による美味しい京豆腐つくりが始まりました。

京都大原野、茨木。ふたつのおいしい水に育まれた味

大原野の豆腐工場は、善峰川という清らかなせせらぎと竹林に囲まれた自然豊かなところで、おいしい地下水も豊富に湧き出る、お豆腐を作るのには最適の場所でした。

京都大原野でお豆腐つくりをはじめてほどなく、おいしいという評判で引き合いが増え、小さな工場では生産が間に合わなくなりました。

同じく、茨木のこんにゃく工場も手狭になっていましたので、京都府南丹市園部町に工場用地を確保して、こんにゃく工場は園部町に、空いた茨木の工場には大原野工場の一部を移設し、豆腐づくりをスタートさせました。茨木の工場周辺もおいしい水の豊富な地区で、お豆腐づくりには最適の場所です。この土地でもかわらぬ味で、おいしいお豆腐づくりに励んでいます。

おいしい豆腐は水選び。
茨木の軟水が引き出す、豆本来の風味。

おいしい水と豆腐

伏見屋茨木工場周辺は、元茨木川の一番上流にあたり、ゆたかな伏流水に恵まれた場所で、昔は染物屋や造り酒屋など、きれいな水を必要とするお店が多く軒を並べていました。

また、当社茨木工場周辺は旧茨木城の城下町であり、戦国時代、山崎の戦いで明智光秀を打ち破って天下を取った豊臣秀吉が茨木に立ち寄って茶の湯を楽しんだところ、そこの水をたいそう気に入って、それ以後、大阪城でお茶会をする際は、わざわざ茨木の水を献上させた、との逸話が残っているほどです。

茨木の水質は軟水。食材の成分を溶かしだし、食材本来の味を活かすのに最適な、クセのない柔らかな水です。伏見屋では、地下85mからくみ上げた水でおいしいお豆腐を作っています。

おいしい豆腐は豆選び。

伏見屋の豆腐づくりに使う大豆は、国内産100%。大豆本来の甘みと香りという点では、丸々と育った大粒の国内産大豆にまさるものはありません。厳選した大豆から絞った豆乳はクリームのように濃厚です。

また、お豆腐の味は使う大豆の品種や産地・季節や気候によって常に大きく変化します。「いつもの美味しさ」を守るためには大豆の品種それぞれの特徴を熟知し、その特性を活かしながら目指す味に合わせて配合を調整する必要があります。伏見屋では、熟練した職人が、季節に合わせて、数種類の選び抜いた国産大豆をブレンドし、香りや甘さ・旨みや固さにこだわって、おいしいお豆腐をつくっています。

今も昔も、追い求めるのは美味しさ

創業当初から当社のお豆腐づくりにおけるコンセプトは「おいしいお豆腐をつくる」です。現在ではそれに「安全で安心できる」という項目が追加され、「おいしく」て「安全」で「安心」できるお豆腐づくりを日々追い求めています。